リーマンブラザーズの経営破綻、秋葉原の無差別殺傷事件、
北京オリンピックの開幕など約10年経った今でも色濃く記憶に残る出来事が起きたのが2008年です。
私は時を同じくして2008年4月に高校生になりました。
当時は中学校を卒業したばかりの15歳で、
社会の右も左もわからないただの小僧です。
加えて部活動や新聞配達などのアルバイト経験もないとんだ青二才でした。
家庭の状況は母子家庭で幼い妹と弟が2人、
古い木造のアパートで肩を寄せ合って生活していました。
このような状況下にいたものですから、
「一刻も早く働いてお母さんと、そして妹と弟を助けてやるんだ」
と物心ついた時から決めていたのです。
Contents
裏バイト体験談『蟹のテレアポ販売員』
当時は今ほどネットが普及しておらず、ガラケーが主流で、
パソコンも高価な品物ですぐに手を出せる物ではありませんでした。
そのため、アルバイトを探すのはネットではなくて、
紙媒体の情報誌になります。
美容室や飲食店に関しても同様で、
紙媒体で気に入ったお店を見つけて、
書面のクーポンを提示するという今では考えられないような原始的な方法。
高校に入学して間もない4月、
近所のスーパーにかけこみアルバイト情報誌を何冊かカバンに入れて自宅に帰りました。
私の実家は札幌の中でもかなり田舎の方で、
近くのスーパーやコンビニに行くのに徒歩15分〜20分ほどかかっていました。
当然、飲食店やゲームセンターをはじめとするお店も極端に少なく、
「アルバイトの選択肢が限られてくるなあ」と思っていました。
面接は即採用
そんなことを考えながら書面に目を通してみると、
自宅から徒歩5分圏内のところに、
『高校生・未経験可!海産物の電話販売のアルバイト』
を書かれているのを目にしました。
私は気づいたらそこに電話をし、
すぐに面接をして即日採用になりました。
15歳の高校生が初めてのアルバイトをスタートさせることになります。
体験初日
私が始めたアルバイト先は、
小さなアパートの2階の一室でした。
社長のデスクがあり、
他には4つのデスクと椅子と電話機が乱雑に置かれているような殺風景です。
聞くところによると、
知り合いの勧めででカニ販売の事業を興すことになり、
所有しているアパートの1部屋を事務所として借りることにしたそうです。
私は初めての仕事で心臓が口からでそうなくらい緊張していました。
手に汗が滲み、頭の中もぼんやりします。
いざ事務所につくと主婦が2人に、
大学生が1人の合計3人の従業員がいました。
いずれも女性の方で、
15歳男子高校生の私を可愛がってくれました。
仕事内容
しかし、仕事ともなれば別。
ホワイトボードには私を含めた4人の名前と架電数、
月の受注数、売り上げが書かれていました。
和気藹々と楽しくも勿論できたのですが、
どちらかというと数字をとった人が全て。
(数字を取れないのにヘラヘラしてていいの?)
といった空気感の方が強かったのです。
私は仕事とは厳しいものなんだな、
と深く心に刻み自分のできる限りの力を出してナンバー1になろうと誓いました。
まずは業務を始めるにあたって、
最初にトークスクリプトを渡されます。
挨拶から始まって商品の紹介、
そしてクロージングといった流れになります。
粗悪すぎる蟹(詐欺商品)を売りつける
販売するものは、
ズワイガニ3杯、毛ガニが2杯の計5杯で29,800円。
仕入れ値が約8,000円だったので、
純利益が概ね21,800円になります。
値引きをしてくる客や、カニではなく松前漬けや魚が欲しい客には、
違う対応をするのですが、
概ね利益が激減するので基本は5杯を29,800円で販売するスタンスです。
その販売するカニを1度食べさせてもらったのですが、
いずれも中身がスカスカでひどいカニでした。
5杯で5000円がいいところです。
鮮度も悪く、さらには水っぽくて、
とてもじゃないけど祝いの席などには出せた品物ではありません。
社長の考えでは、
といった歪んだ価値観を持っていること知り、
だいぶ幻滅したことを覚えています。
それでも雇用していただいた恩があるので、
私は周りの誰よりも電話しました。
電話のしすぎで声が枯れたり、
腱鞘炎になりかけたこともあります。
社長の暴力が怖くて売り上げナンバーワンに
ストレスで嘔吐することもありましたが家族の為であれば、
どんな苦難も乗り越える自信がありました。
気づけば3ヶ月で売り上げNo.1になっていました。
1日5時間の勤務で平均130本の架電、
2日に1回は蟹を売ることができていたので周りに圧倒的な差をつけて頂点に立つことができました。
ここまで架電ができたことは、
他にも理由があります。
社長の暴力です。
1日の合計架電数を最後に紙に書いて提出するのですが、
本数が少ないと社長は激高します。
机を蹴り飛ばし、
髪を掴み肩を殴りつけてくるのです。
さすがに女性社員にはそこまでひどくなかったですが、
男性社員である私に対して、、目にあまるような暴力を振るうのです。
私はそれでもめげずに蟹を販売し続けました。
後輩が入ってくると、
手取り足取り教えずに「見て盗め」のスタンスでバイトをしていました。
当然社長のように暴力は振るわず、
言葉で教えて諭すことをこころがけました。
信頼していた社長の夜逃げ
1年ほど経過したある日、
いつものようにバイトに向かうと鍵がかかって応答がありません。
不思議に思い社長に電話するもつながりません。
1階にいる社長の母に聞いてみるも、
「知らない」とのこと。
なすすべなく、その日は家路につくことにしました。
社長はそれから1度も戻ることはありませんでした。
蟹が売れていないにもかかわらず、
人件費・家賃光熱費、電話代が嵩み事業を継続するのが難しくなって、
夜逃げしていたのです。
私は愕然としました。
1年一緒に仕事をやってきて少しは信頼していたし、
給与の未払い分も35,000円ほど残っていたのです。
高校生にとっての35,000円は非常に大きな金額です。
当時の私はこういった場合に誰に相談したら良いのか、
どのように行動したら良いのかわからず結局泣き寝入りました。
私は粗悪な蟹を、北海道外に住む一般市民に売りつけることを、
1年続けてきてすっかり心が荒んでいました。
しかし、社長の夜逃げを機にアルバイトを辞めることになり、
少しづつ善良な人間としての心を取り戻していくのを肌で感じました。