読者投稿:佐原(仮名)
前回記事:【妻が強姦された】2st、レ×プ犯は無罪。旦那は傷害罪。これが現実
こうして私は、
拘留期限の満期の20間大阪市東住吉警察署に留置されたことになります。
留置されてから20日後に、
大阪市北区にある大阪簡易裁判所で略式裁判を受けました。
判決は傷害事件での有罪。
罰金30万の刑に処すと言い渡されました。
刑を言い渡され手錠を外されたのですが、
30万の罰金が払えない私は、すぐに労役の手続きへと進みました。
その間、妻とコーラなどを飲む事が出来たのですが、
罰金の半額15万円を支払って、
残りの15万円は、
1ヵ月後から30日間の労役で支払う事を約束して自宅に帰れる事が出来ました。
2015年4月の初め頃、しばらくの間外に出れた私は、
労役に出頭する1ヶ月間の猶予の間に別れた妻と復縁。
外に出ている一ヶ月間はあっという間に過ぎて、
私は5月の初め頃にもう一度大阪簡易裁判所に出頭しました。
簡易裁判所から、
労役所の大阪市都島区にある大阪拘置所に送られました。
大阪拘置所は畳三帖ほどの部屋にトイレが設置されている独居房、
中は風一つ入らない蒸し暑い部屋。
食事は玄米に白飯が少し入った物で質素な食事でした。
3日に一度だけ15分間の入浴が許されていて、
蒸し暑い独居房は常に汗臭くかなり不快なものでした。
労役の作業は1日5000円なのですが、
私が課せられた仕事はプラスチックの容器にシールを貼るシール貼り。
作業の間足を崩す事は許されず、
常に刑務官の見廻りで監視されていました。
足を崩したり・壁にもたれかかったりしている所を見つかると、
激しく叱咤されます。
一日中正座での単純作業は、
かなりの苦痛で耐え難いものでした。
拘置所での労役作業での救いは、
作業の無い休日には一日中寝ててもいい事でしたね。
同じ強制労働でも懲役と労役では少し扱いが違うようで、
刑務官の扱いもまだ耐えれる方でした。
大阪拘置所での労役生活は10日間でした。
労役の期間の残り20日間は、
刑務所に行かなければなりませんでした。
拘置所は独房の数が少なく、
刑務所に移さなければ独房が足りないと言う理由でした。
こうして私は労役の残りの20日間を大阪市堺市にある、
大阪刑務所に入れられるハメになりました。
大阪拘置所から大阪刑務所に移される際は、
四人の受刑者が腰紐でつながれ、まるでムカデのように運ばれて行きました。
大阪刑務所での私の扱いは、
留置所や拘置所とは全く違うものでした。
刑務所につくと仕切りされたボックスに入れられ、
持ち物検査や全裸での身体検査が体の隅々まで行われました。
刑務官の扱いも酷く、
労役とはいい難いまさしく犯罪者の扱いが待っていました。
大阪刑務所の独居房は拘置所とあまり変わらないのですが、
5月なかばの大阪刑務所の独居房は更に蒸し暑い不快なものでした。
大阪刑務所は拘置所と違いは、
休日でも横になる事はおろか、壁にもたれかかっただけで激しく叱咤されました。
独居房に入ったとたん正座で刑務官を待ち、
大きな声で番号を言わされました。
独房の生活で些細なミスがあっても刑務官から激しく叱咤される・・・
まるでいじめのような生活でした。
食事は玄米の量が更に多くなって、
おかずも少なくなる質素な物でした。
大阪刑務所での労役の仕事は、
丸い金具に名札のような物を取り付ける単純作業でしたが、
単純作業でも金具に名札のような物を取り付ける際は、
指先が物凄く痛くなり1日作業すると指先が腫れて来るほど。
一日中正座して指先の痛くなる単純作業は、
大阪拘置所の労役作業とは比べ物にならないくらい過酷な物でした。
刑務官の嫌がらせとも思えるような扱いが続き、
蒸し暑い独居房での正座での単純作業は更に過酷になり、
私はついに食事がとれなくなってしまいました。
過度のストレスからか食事をとると嘔吐してしまい、
水分をとっても胃がキリキリと痛くなり、
1日一食・朝食のパンの半分しか食べれなくなってしまいた。
食事がとれなくなった私への刑務官の扱いは更に酷くなりました。
「なぜ食べない?食べれないなら医務にかかれ」
と激しく言われました。
(医務にかかり作業を休んでしまうと労役の期間が延びてしまう・・)
一日も早く外に出たい私は、
刑務官の執拗ないじめに耐えて作業を続けました。
過酷な環境に絶える一日は途方もなく長く感じ、
体重が減っていくのも体で感じました。
私を支えるものは一日の最後にカレンダーを見る事だけ。
カレンダーを見てあと何日で出れるあと何日の辛抱だ、
と言い聞かせるだけでした。
そして、
長かった大阪刑務所での20日間の労役が終わる最後の日。
お昼前に独房の扉がいきなり開いて、
担当の刑務官が「作業やめ」と一言だけいいました。
しばらくすると三人の刑務官が来て、
「○○○番釈放」と言って私を釈放しました。
釈放された途端刑務官は別人のように私に接しました。
上司と思われる刑務官が私を迎えに来て、
持ち物検査や忘れ物が無いか確認しました。
刑務所を出て行くときは、
帰りの電車の乗り換え方法や駅までの道順を親切に教えてくれました。
犯罪を犯して刑を償うまでの間は、
人間扱いされないんだなとつくづく思いました。
刑務所を一歩出てすぐに携帯電話の電源を入れて、
妻に刑務所を出た事を告げました。
その後、近くのコンビニに駆け込んでタバコとコーラを飲みました。
電車に乗って最寄りの駒川中野という駅に着くと、
妻が私を出迎えてくれました。
こうして私の警察署での20間の留置所生活と、
一ヶ月間の拘置所と刑務所での労役が終わりました。
それから二年経った現在の私は、
住まいを愛知県に移し復縁した妻と二人で暮らしています。
今でも加害者の男を強姦の罪で起訴させたいと考えています。
弁護士に依頼して刑事告訴するつもりでいます。